中岡由美子

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『わたしの世界一な弟、しんくんとの思い出』

2007年に歳が変わるころ、弟から国際電話で「彼女と結婚するよ」という知らせを聞きました。ずっと彼女がいないのを心配して、我が家では「真くんに彼女ができたら、赤飯炊いてお祝いしないとね。」と言っていたので、それはそれは母と大喜びをしました。
 
飛行機の予約を取って7月1日の結婚式を楽しみにしていたある日、また弟からの電話で「姉ちゃん、何か病院行ったら腫瘍があって調べるように言われてん。」と聞き、その日からわたしの頭の中はパニックになりました。人一倍健康な生活をしてきて、ドがつくほど真面目な性格の弟からは、腫瘍=ガンとは全く結びつかず、「何かの間違いだろう。良性に決まってるから心配しないで。」と、自分自身に言い聞かせるように弟に言いました。

ところが、結果は悪性。しかも既にステージ4で医者からは「1年か・・もって一年半でしょう・・。」と言われました。もしガンになるとするなら、お酒もたくさん飲んでたばこも吸って、毎日夜遅くまで遊び歩いていたわたしがなるべきであって、「なんでよりによって真くんなんだろう・・。なんで・・なんで・・???」と思い「この世に神様なんていない。」と神様まで恨んでしまいました。

 2歳離れた弟とは、いつも周りから「すごく仲のいい兄弟」と言われ続けてきました。小さいころの記憶はあまりないのですが、母いわく弟が生まれた時は、いつも抱っこしようとしたり弟の世話を焼こうとしていたらしいです。思春期に入ってからは、ケンカもたくさんしました。わたしが食べようと冷蔵庫の奥に隠していたプリンを弟に食べられて大喧嘩になったり、遅く帰宅した弟を玄関でビンタしたこともありました。そのころから父は家にいなかったので、わたしは弟に対して父親みたいな存在で振舞っていたりしました。でも、そういった家庭環境からもわたしと弟の絆は深まっていって、大きくなってからもよき相談相手であり一緒に趣味活動ができる無二の友達みたいな存在となりました。

 弟は、すぐに人と打ち解けて決めたら即行動に移すわたしとは全く逆で、人見知りをして口下手だけど、ひとつ決めたらコツコツと努力するきっちりとした性格でした。大学も家にお金がなかったので新聞配達で奨学金をもらいながら卒業しましたし、取っておくと仕事で有利な資格もひとり図書館に通ってひとつずつ合格していき、英会話も社会人になってから勉強を始めたけれど、闘病中も退院するたびに詰めて通い、亡くなる1カ月前まで頑張っていました。自転車も、トライアルにはまってからは毎日地道に練習を続けて、破れた手の豆を笑いながら見せてくれたりしました。家のことも、わたしは実家に縛られるのが嫌で20歳で一人暮らしを始めたけれど、弟はずっと家のローンを払ってくれていました。この「いろんなことにきちんとコツコツ」にはいつも脱帽させられました。

  「オートバイ、自転車、旅をすること」が大好きなわたしたちは、一緒に旅行にもよく行きました。バイクで東北を一緒に一周したときは、東京の砧公園で野宿をして翌朝管理人の人に追い出されたこと、GWだというのに雪が数メートルも残っていて二人凍えそうになるのをマフラーに手を当てながら越えた八甲田山、真っ暗闇のトトロの森のような六カ所村を越えて目指した尻屋崎YH、大間崎からかすかに見えた北海道・・今となっては本当にかけがえのない思い出です。韓国も自転車でたくさん走りました。韓国最南端の「タンクッマウル」や珍島、ソラク山を越えて最北端から北朝鮮を眺めたこと、MTB110キロレースに弟と主人と3人チームで出場したこと・・数えきれないほどの二人だけの思い出を今一緒に思い出しながら語り合えないのがとても寂しいです。
  わたしは主人と自転車レースで知り合い結婚したので、弟の彼女も自転車や旅が大好きと知ってからは「ふたり結婚したら、4人でいろんなところに自転車旅行に行きたいなあ。それで子供できたら、二人旅行行ったりするときはわたしたちが預かってあげて、お互いそうできたら楽しいだろうなあ。」と勝手に思っていました。弟が闘病中は、わたしの娘がまだ片言でしか話せなかったので「もうちょっとして、いろいろしゃべるようになったら楽しいだろうなあ。」と娘の成長を楽しみにしてくれていました。
今、娘はいろいろ話できるようになりましたが、それを聞かせてあげる弟はいません。余命があと一カ月だと聞いたときは、何とか最後一度でも旅行に行かせてあげたいと思い、どこに行きたいか聞いたら北海道に行きたいと言いました。その思いは叶わずに弟は逝ってしまいました。新しく命を宿ったこと、その子は女の子だと言うこと、家の近所に自転車屋を見つけたこと、弟を連れて行ってあげたら喜びそうなおいしそうなお店、韓国で起きたおもしろい話、最近るな(娘)が出来るようになった数々のこと・・・弟に報告したいこと、他の誰でもなく弟と気持ちを共有しながら話をしたいことが山ほどあるのに、聞いてくれる弟はもういません。
わたしは、本当にガンが憎くて憎くてたまりません。わたしから誰もとってかわることができない世界一の弟を連れ去ってしまったからです。でも、経験しないと絶対にわからないことを、弟は身をもって学ばせてくれました。それは「生きるのも死ぬのも簡単じゃない。だから日々大切に生きないといけない」ということです。生きてるってことがこんなに素晴らしくて儚いもので、死ぬことがこんなに痛くて苦しくてドラマのようにきれいごとじゃないということを、短かったけど最高の人生を目一杯駆け抜けた弟は目を閉じるときまで教えてくれました。
今、弟はどの辺を旅しているでしょう。天国で再会すること、来世も必ず姉と弟として出会うこと、その時には今できずにいる積もり積もった話をすることを楽しみに、一生懸命生きていこうと思っています。
わたしの心の中で輝き続ける、弟の笑顔と思い出と共に・・。

2010年3月2日   一生、しんくんのお姉ちゃんより